「差別」の濡れ衣を着せた大学、56億円賠償

2016年に黒人窃盗犯を捕まえたことで「差別主義者」のレッテルを貼られ、6年間の法廷闘争を繰り広げてきたアメリカ・オハイオ州の老舗ベーカリーが、ついに名誉毀損訴訟で勝利し、56億円に相当する巨額の賠償金を受け取る権利を勝ち取りました。

米オハイオ州で「ギブソン・ベーカリー」を経営してきたギブソン家が、2018年の名誉毀損訴訟1審で勝訴した後に喜んでいる様子
米オハイオ州で「ギブソン・ベーカリー」を経営してきたギブソン家が、2018年の名誉毀損訴訟1審で勝訴した後に喜んでいる様子

歓迎されない客

ギブソン・ベーカリーは、1887年創業以来、地域住民に愛される老舗の食料品店兼パン屋です。当時店を経営していたアラン・ギブソン氏(87歳)は、親切で地域社会への貢献で知られる人物でした。

ギブソン・ベーカリーと アラジン(左)と共犯者
ギブソン・ベーカリーと
アラジン(左)と共犯者

2016年11月、オーバリン大学の学生であるジョナサン・アラジン容疑者(当時19歳)は、ギブソン・ベーカリーでワイン2本を盗んだ後、偽造の身分証を使ってワイン1本を追加で購入しようとしていました。

当時店番をしていたアラン・ギブソン氏は、突然の状況と体格の良いアラジンを制圧する自信がなかったため、携帯電話でアラジンを撮影し始めました。しかし、それに気づいたアラジンはギブソン氏の携帯電話を奪い取って逃走します

事件を目撃したギブソンの息子デビッド氏(当時62歳)はアラジンを追いかけましたが、アラジン容疑者と他の黒人学生2名から暴行を受けます。

この事件で、アラジンともう2人の黒人学生は警察に逮捕されました。当初は単なる窃盗事件と思われたこの事件は、その後の展開によって、地域社会と大学を巻き込む大きな対立へと発展していくことになります。


デビッドの懸念、そして予想を超えた展開

デビッド氏は、この事件がパン屋の運営に悪影響を与えるのではないかと心配していました。そして、彼の心配は現実のものとなります。

事件の翌日、オーバリン大学の学生たちは、「このパン屋は普段から人種差別をしている」という内容のビラを配布し、抗議デモを開始しました。この抗議デモによって、事件は全く別の方向へと動き始めることになります。

ギブソン・ベーカリーの前に集まった、拡声器とピケットを持ったデモ隊
ギブソン・ベーカリーの前に集まった、拡声器とピケットを持ったデモ隊


拡声器とピケットを持ったデモ隊が店の前に押し寄せ、学校側と校長も加勢してギブソン・ベーカリーを「人種差別施設」と断定し、取引を中止しました。さらに、新入生オリエンテーションでは「このパン屋に行かないでください」と学生に指示し、従業員の車のタイヤをパンクさせるなどの嫌がらせ行為も行われたとされています。

こうした抗議活動が続く中、ギブソン・ベーカリーは急速に経営悪化に陥ります。オーバリン大学との取引が完全に断絶されただけでなく、地域住民全体がギブソン家を人種差別主義者だと誤解したためです。

デビッド氏は大学を訪ねて合意を図ろうとしましたが、学校側はこれを拒否し、ギブソン家が人種差別主義者だという噂を拡散し続けました。嫌がらせに耐えかねたデビッド氏は、2017年11月、オーバリン大学を名誉毀損で訴えることを決意します。


裁判の過程

裁判は順調ではありませんでした。デビッド氏は裁判中に膵臓癌を宣告され、法廷で可能な限り冷静な精神状態を保つために治療を中断することを余儀なくされました。

2019年7月、裁判所はオーバリン大学に対し、合計4400万ドル(約68億円)の支払いを命じる判決を下しました。その後、オハイオ州の賠償金上限に基づき、賠償金は合計3650万ドル(約56億円)に調整されました。

オーバリン大学側は、この抗議活動は学生個人の表現の自由であり、大学側にはこれを止めることができなかったという理由で、2020年に控訴しました。2022年に控訴は棄却されましたが、大学側はオハイオ州最高裁判所に上訴を請求しました。

この長年にわたる法廷闘争の中で、膵臓癌を患っていたデビッド氏は2019年11月に65歳で亡くなり、デビッド氏の父親であるアラン氏も2022年2月に93歳で亡くなりました。

オハイオ州最高裁判所の陪審員団は全員一致でギブソン・ベーカリー側に軍配を上げました。オーバリン大学は裁判所の決定に対して遺憾の意を表明しました。現在ギブソン・ベーカリーを経営するロナ・ギブソン氏は、オーバリン大学が依然として賠償金を支払おうとしていないと主張しています。


なぜ小さな窃盗事件が、ここまで大きな問題になったのか?

単なる窃盗事件で終わるはずだった事件が、なぜこのような大事件に発展したのでしょうか?

オーバリン大学全景
オーバリン大学全景

1833年に設立されたオーバリン大学は、アメリカ大学の中でも黒人学生を最も早く受け入れた大学として知られるほど、進歩主義的な伝統を持っています。事件当時はトランプが大統領に当選した直後であり、人種正義に対する世論が敏感な反応を示していた時期でした。

実際、抗議活動当時には過剰反応であるという指摘もあり、進歩派陣営からも「理性を失った集団」という批判が出ていました。

しかし、感情が高ぶっていたデモ隊にとって、冷静な議論は届きませんでした。