インド版「愚公移山」
インドには、まさに「愚公移山」を実践した人物が存在します。ダシュラート・マンジーという男が、22年もの歳月をかけて、ハンマーとノミだけで岩山を切り開き、村への道を作り上げたのです。妻の死をきっかけに始まった彼の壮大な挑戦は、インド社会に深い感動を与えました。
|
ダシュラート・マンジーの写真 |
愚公移山(愚公、山を移す)
皆さん、「愚公移山(愚公、山を移)」という故事成語をご存知でしょうか?
「愚公という老人が山を動かす」という意味で、中国の古典である『列子』湯問編 に載せられた説話です。
北山という所に、愚公という90歳の老人が住んでいました。老人の家には、周りが700里もあり、高さ万丈の太行山と王屋山が横たわっており、用事がある時には山を迂回して行くため、大変不便でした。
そこで、愚公は反対する家族を説得して、山を移すことにします。毎日、土と石を三輪車で運び、捨て続けたところ、人々はそのようにしてあの大きな山をいつまで移せるのかと嘲笑しました。
しかし、愚公は「私が死んだら息子が、息子が死んだら孫が引き継ぐだろう。山はこれ以上高くなることはないだろうから、代々工事を続けたら、いつかは平らになるだろう」と答えました。
この言葉を聞いた二つの山の山神は、すぐに玉皇大帝に駆け寄り、愚公を止めてくれるよう懇願しました。そして、この話を聞いた玉皇大帝は、二つの山を持ち上げて、一つは朔東に、もう一つは雍南に置いておくように命じました。
この話は、どんな困難も強い意志で諦めずに努力すれば、いつか目標を達成できるという意味でよく使われます。
しかし、この教訓をそのまま受け入れる人はあまり多くありません。まず、目の前の結果に焦るのがほとんどの人々の心理であり、故事成語の中の「山を動かした」という内容は、手に届かないほどにあまりにも荒唐無稽で、現実では不可能な古臭い教訓のように聞こえるからです。
しかし、実際に、愛と隣人への思いやりの心でこのようなことを成し遂げた人がいます。
ダシュラート・マンジーと妻の物語
貧しい労働者だったダシュラート・マンジー(Dashrath Manjhi)は、インド北東部ビハール州で妻と暮らしていました。
ある日、働いていた彼に昼食を届けに来た妻が、大けがをしてしまう出来事が起こりました。夫婦が住んでいた場所は、最寄りの病院までなんと64kmも離れていたのです。
|
ダシュラートの自宅と病院の距離 |
村は岩山の山腹に位置しており、医師がいる街へ行くには、険しい山を下り、川を迂回して行く必要がありました。しかし、妻の容態は悪化し、病院へたどり着く前に命を落としてしまいます。ダシュラート・マンジーは、深い悲しみと絶望に打ちひしがれました。
ダシュラート・マンジーの決意
深い悲しみに暮れたダシュラート・マンジーは、二度と誰にも同じ悲しみを味わわせたくないという強い決意を抱き、誰もが長い間考えもしなかった行動に出ます。彼はヤギを売って資金を調達し、ハンマーとノミを購入。そして、誰にも理解できない決意で、山を横断する道路作りという途方もない工事に着手したのです。
しかし、当然のことながら、周囲の人々の反応は冷ややかでした。妻を亡くした悲しみで気が狂ってしまったと嘲笑され、彼の行動は中傷や非難の対象となりました。
ダシュラート・マンジーの執念
周囲の嘲笑や非難に屈することなく、ダシュラート・マンジーは1960年から工事に着手しました。それから22年間、昼夜を問わず、ひたすら山を掘り続けました。その結果、全長110メートル、幅9.1メートル、高さ7.6メートルの道路が完成したのです。
|
ダシュラートが作った道 |
この道路の開通により、山周辺の二つの村間の距離は64キロメートルから15キロメートルへと大幅に短縮され、車での通行が可能になりました。
長い間、村人から狂人と見なされていたダシュラート・マンジーは、ついに英雄となったのです。彼はビハール州知事に会い、道路にさらに砕石を敷いて舗装することを要望しました。
人々の心を動かしたダシュラート・マンジーの執念
|
病床に伏しているダシュラート |
「山を動かした男」と呼ばれたダシュラート・マンジーは、晩年胆嚢癌を患い、2007年8月17日に、全インド医科大学(AIIMS)で73歳でこの世を去りました。
ビハール州政府は州葬を行い、偉大な功績を残した彼の最期を称えました。
ダシュラート・マンジーが残したのは、道路だけではありませんでした。
|
現在の道路の様子 |
彼の死後、ビハール州首相は3キロメートルの長さの別の短縮道路建設プロジェクトに「ダシュラート・マンジー道路」という名前を付け、彼の精神を称えました。さらに、誰も顧みなかった貧しい村に彼の名を冠した「ダシュラート・マンジー病院」が設立されました。
そして2007年、ボリウッド映画「マウンテンマン」が製作され、亡くなったマンジーを偲び、彼の生涯を掘り下げました。
0 コメント